気が向いたときに時間があればブログを書くのですが、あっという間に一ヶ月以上経ってました。
気が向かなかったのか、忙しかったのか。笑
(2月はホ・オポノポノのヘルスクラスを受けたのが一番の出来事!)
個人セッションの募集をしているわけでもなく、
広告収入があるわけでもなく、
単にサーバー代金がかかっているだけのこのブログ、
もはや存在の意味もよくわからず笑、
もう閉鎖してもいいかなと思っていますが、
せっかく書き溜めてきたものが消えてしまうのももったいない気がしたり、
アウトプットする場所を残しておいてもいいかなあと思ったり、
それだったら別に無料のでもいいのかなーと思ったり、
なんだかぐだぐたしています。
(しかもどこにもシェアすらしていない、、一体誰が読んでるんだ?笑)
カウンセリングを二年間学び、
それなりに人のお話を聞けるようになったとは思っていますが、
「さて、カウンセリングをやりたいのか?」と自分に問うと、
「No」だと返事が返ってきます。
「今はNo」なのか、「これからもずっとNo」なのかはよくわかりません。
先のことはわからないです。当たり前ですが。
わたしが「カウンセラーになりたい」と思った理由は、
自分自身がとっても生きづらかった人生の中で、
30代からいろんな方の心理カウンセリングを受けて、
少しずつ救われ、生きるのが楽になってきて、
だからわたしもそういう仕事がしてみたい、と自然に思うようになったからです。
自己探求や、心理学の勉強は楽しいし、好きだったし、
「イタイイタイ」と言いながらも痛いところを掘り起こして、
それでも「この苦しさから抜けるためなら!」と
ゴリゴリ自分と向き合ってきました。
自分と向き合うのが一番痛いし、しんどいし、体力も時間も使います。
うやむやにして他人を見て全部他人のせいにしてた方が楽だから、だいたいの人がそうしている。
もちろんわたしも、見たくないから見ていない部分がまだまだあります。
(潜在意識の部分って本当に膨大だから仕方ない。過去生の分もあるし。)
そうやってある時期にものすごくゴリゴリ自分と向き合って、
その甲斐あってか、
自己受容ができるようになってきて、
自分に優しくできるようになってきて、
それでもどこかやけっぱちな感じで笑、
「もう開き直って自分の人生を生きるぞー!!」と決めて動き始めたときに、
カウンセラーの勉強を始めて、
同じ時期に湘南に引っ越しして、
パートナーができて、去年の夏から一緒に暮らし始めて、
いろいろありながらも毎日楽しく過ごしていて、
「あーなんだか幸せだなー」
「今までの人生で一番平和な時間を過ごしているなー」
なんて思い始めたとき、気付きました。
「もしかしたらわたしは、他人を救いたかったわけじゃなくて、
自分を救いたかっただけなのかもしれない。」
これは心理学でいう投影というやつで、
「救いたい」は「救われたい」だったのかなあ、と。
自分の「救われたい」が消えたら、
「他人を救いたい」も消えてしまった・・。
自分の「癒されたい」が消えたら、
「他人を癒やしたい」も消えてしまった・・。
このことに気付き始めたのは、もうだいぶ前なのですが、
なんとなく「カウンセラー」という職業を否定してしまうことになりそうで、
この気持ちを外には出せなかった。
でも実際自分が「カウンセラー」という職業の方に救われたのも事実で、
結局はその人の、在り方というか、そういうものなのかなと思います。
要は本当に誰かを救える人って、「人を救いたい」とは思っていないんじゃないのかな、と。
うまく言葉にできませんが・・、
やっぱり「とことん自分を生きる」ということに尽きるんじゃないかなと思います。
形じゃなくて、在り方、生き様、なのかなあと。
別に言葉を交わさなくても、
誰かに救われたり、癒やされたりすることって、ありますよね。
表面的な言葉のやりとり、アレコレ、ももちろん大切だと思いますが、
結局そういう、心の奥底で感じ取れる誰かの何かに、
いつの間にか人って救われたりするんじゃないかなと思います。
まだまだ未熟者のわたしは、自分の人生、生き方、まだまだ模索中ですが、
「自分を生きる」ということだけは、
忘れないようにしようと思います。
人に合わせない、人と比べない。
自分の感覚や違和感を大切にする。
自分を生きれば生きるほど人との違いを感じてしまう、
相変わらず変人のわたしなので笑、
結構大変なのですが、がんばりたいと思います。
同士の方、いらっしゃったら一緒にがんばりましょう。笑