わたしたちは小さいころから当たり前のように、他者との比較・競争の世界で生きてきました。
きょうだいがいると、きょうだいと比べられて。
学校に行くと同級生となんでも比べられて、順位までつけられて。
会社に入ると、今度は同僚。評価だの、昇給だの、昇格だの・・。。
「他人に勝つ」ことが、自分の価値であるかのような価値観が、染み込んでしまっています。
勝てば、褒められる。
勝てば、認められる。
勝てば、愛される。
勝てば、居場所がある・・・。
じゃあ、負けると・・?
負けると、がっかりされる。
負けると、認めてもらえない。
負けると、愛されない。
負けると、居場所がなくなる・・・。
こういう考えが、潜在意識に染み込んでしまっていて、どうしても他者との比較がやめられなかったり、無意識に勝負してしまっていると思います。
勝負する必要のないところでも、いつのまにか無意識に勝敗を意識してしまっていたり。
勝つだの負けるだの・・・・・。
勝っただの負けただの・・・・・。
これってほんとうに、疲れるし、不自由になるし、全然いいことないんですよね。
なぜかというと、「勝つために」「負けないために」動いてしまうから。
自分の「やりたい」で動けなくなります。
そして考えたいのが、さっき書いた「負けると・・」の続き。
負けると、がっかりされる。
負けると、認めてもらえない。
負けると、愛されない。
負けると、居場所がなくなる・・・。
これって、本当・・?
てゆうか、そもそも誰が「負けた」って決めてるかっていうと・・。
自分だけだったりする。笑
勝手にやってる、自作自演のストーリー。
昔は、幼少期は、やっぱり親に、がっかりされるのが、いやだった。
だから、こんなにも負けることが嫌で嫌でたまらなくなっているのだけど。
でも今、親、見てる?
だいたいの場合は、親を誰かに投影してしまっている。
上司とか、先生とか、尊敬する人とか、好きな人とか、そういう人。
過去の傷付いた自分が、まだいるから、いつまでも誰かに親を投影して、そのストーリーに飲み込まれてしまう。
だから、過去の自分に、みじめな思いをしてしまった自分に、
「精一杯、がんばってくれて、ありがとう」と言って、癒やしてあげることが大切だと思います。
だいたいの場合、わたしたちは失敗してしまった過去の自分を、責め続けています。
「なんであの時失敗したの?」とか。
「なんでうまくできなかったの?」とか。
でも、その時の自分は、その時、精一杯、がんばったんです。
だから、認めてあげる。褒めてあげる。
「がんばってくれて、ありがとう」って言ってあげる。
「いままで責めて、ごめんね」って言ってあげる。
それができるのは、自分しかいません。
意味のない勝負は、本当に人生を不自由にさせる。
比較・競争の幻想ストーリーから目覚めて、自由にのびのび生きたいですね。